秋葉原歩行者天国の歴史から学ぶオタクの教科書
秋葉原の歩行者天国のイメージは、通り魔事件が起こってから暗いものとなってしまいましたが、この事件が起こる前からも何かと問題はありました。
現在はすっかりホコ天の様子も変わり明るいものとなってきましたが、「歴史は繰り返す」という格言があります。
また同じような事件や問題が秋葉原で起こらないようにするためにも、秋葉原の歩行者天国の歴史についてご紹介させて頂きます(‘ω’)ノ
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秋葉原の歩行者天国の日程、時間場所は?
現在、東京都内では秋葉原以外にも「銀座」「新宿」「亀戸」「三軒茶屋」で歩行者天国が実施されています。常時(恒久的)な開催ではなく、日時指定で実施されるルールとなっています。
以前は、原宿(代々木公園近く)や渋谷(ハチ公口)、池袋駅前でも歩行者天国が実施されていましたが、現在は廃止されています。
秋葉原歩行者天国の実施曜日・時間
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現在(2018年3月)、秋葉原では日曜日のみ歩行者天国が実施されていて、雨天・荒天・強風、または悪天候が予想される時には中止になります。
実施時間は、季節によって変わります。
10月から3月 13:00~17:00
4月から9月 13:00~18:00
実施エリアは、中央通りの外神田5丁目交差点(上野方面銀座線末広町駅近く)から万世橋交差点(万世橋、安心お宿、パチンコアップル近く)までの約570mの範囲です。
歩行者天国の禁止事項として
①物品販売の禁止
②パフォーマンス禁止
③自転車走行禁止
④ティッシュ、チラシ配布禁止
となっています。千代田区生活環境条例で路上喫煙禁止です。喫煙者の方はご注意下さい。
秋葉原歩行者天国の歴史を紐解いてみる
日本の道路を交通規制する警視庁のサイトから、歩行者天国は昭和45年の8月から初めて銀座で実施されたことがわかります。
昭和45年は、西暦1970年、「日本航空機よど号ハイジャック事件発生」「日本万国博覧会(大阪万博)開幕」「マクドナルド日本第1号店が銀座店にオープン」「アポロ13号打ち上げ」などの出来事がありました。
オタク的視点から面白いのが、「鼻血ブー」が流行語となりトミカのミニカーだ大ヒットした年でもあります。
秋葉原で歩行者天国がはじまったのは?
秋葉原で歩行者天国が開始されたのは昭和48年(1973)です。「石油ショックによる物価急上昇」「トイレット・ペーパー,洗剤などの買いだめ騒動」「ノストラダムスの大予言が出版される」「関東大震災から50年目で“地震”ブーム」などの出来事があった年で、なんとなく世の中が不安な時期だったことがわかります。
「ドラえもん」や「キューティーハニー」「エースをねらえ!」がテレビアニメで登場した年で、名作として今でも人気です。
秋葉原の歩行者天国は神田まで続いていた
秋葉原の歩行者天国は現在、中央通りの外神田5丁目交差点から万世橋交差点の範囲(約570m)で実施されています。しかし、2008年6月の秋葉原通り魔事件で歩行者天国が中止されるまでは須田町交差点(万世橋を渡り、神田方面までの通り)から万世橋の範囲でも歩行者天国が実施されていました。
2011年1月23日に、通り魔事件後はじめて試験再開されると同時に縮小されて現在の実施エリアとなっています。
同年東日本大震災のため3月13日から再び計画停電などの治安上の問題で休止となりましたが、その後4月17日に再開しています。
秋葉原歩行者天国の歴史から学ぶ未来は?
秋葉原の歩行者天国へのイメージを変えたのは、2008年6月8日の通り魔事件です。しかし、この通り魔事件が起こる以前にも秋葉原の治安悪化やモラルの低下を警鐘する事件が発生していて、偶然突発的に通り魔事件が起こったとは思えないことが多いです。
秋葉原の輝かしい全盛期として懐かしむ人も多い2000年以降、インターネットの進化にともなって秋葉原がだんだんと大衆化することによって商業至上主義的なお店も増えて秋葉原のモラルが低下していきます。
電車男のブームでオタク市場原理主義が蔓延した
2004年に発行され、2005年のテレビドラマ放映で大ヒットし、秋葉原のオタクに光を与えたとして美化されている「電車男」ですが、オタクブームによって秋葉原が失ったモラルも忘れてはいけません。
パソコンブームで盛り上がる秋葉原の電気街と、タイミング良くブームとなった「オタク」にマスコミがとびついて「オタク」に関連するものなら何でも売れて、秋葉原のオタクなら何でも許されるという雰囲気が街全体に蔓延していました。歩行者天国では、過激なコスプレをしたレイヤーのパンチラ撮影会が横行し、女子高生を売りにした「JKビジネス」が流行り出したのもこの頃です。
メイド狩り事件やメイド喫茶でのトラブルも頻繁に起こるようになり、2008年の通り魔事件発生までの秋葉原はオタクの無法状態だったと言えます。
JK・メイド後の秋葉原はどうなっていくのか?
2011年に歩行者天国が再開されてからの1年後、2012年前後から秋葉原で第二のJKブームが起こっています。より過激になったJKリフレや見学店、JKお散歩など風俗まがいのサービスをするお店が一気に増えて、高架下や秋葉原ケンタの前には「立ちんぼ」と言われるチラシ配りの女の子が姿を見せるようになりました。
売春の温床として女子高生の補導、規制が厳しくなった2016年で一旦は影を潜めていますが、行き場のないストレスが秋葉原でたまっているような印象も受けます。2020年の東京オリンピックに向けて厳しくなっている法規制の裏で、より見えにくくなる秋葉原の闇の部分には今後も注意が必要です。
まとめ
秋葉原でもぼったくり事件が発生したと話題になった2015年ころに比べると、また秋葉原の治安がもどっている印象です。ご近所の錦糸町や上野でも違法風俗店の逮捕のニュースを良く聞く事からも、東京オリンピックまでは秋葉原の治安も良くならざるを得ないです。
東京オリンピック以降の秋葉原がどのような方向性に向かっていくのか、今までの歴史を振りながら見守っていくことも大切です。
オタクの愛で世界をハッピーに!

本日も最後までご覧いただきましてありがとうございました(‘ω’)ノ
秋葉原で本当に楽しめる場所はなかなかマニアック!
⇒秋葉原で有名な場所には行くな!観光には記憶がオタク流!
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