秋葉原のオタク文化の驚くべき歴史とは? いつからアキバは聖地になったのか?

      2018/04/24

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世界のオタク文化の最先端を行く秋葉原は、「オタクの聖地」「萌えの聖地」「アニメの聖地」など、オタクカルチャーのパイオニアとしての認知度が高いです。
日本だけでなく、海外のオタクからもオタクスポットの聖地としてリスペクトされていることは、日本のアニメが世界的に人気あることからも明らかです。

戦後電気街として成長してきた秋葉原がいつからオタクの街となって、なぜオタク文化を発信するまでになったのか疑問に思う方も多いです。
秋葉原のオタク文化の歴史を学ぶことによって、アキバのオタク文化の驚くべき事実に迫ります(‘ω’)ノ

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秋葉原のオタク文化を理解するときに、覚えていてほしいこと

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秋葉原のオタク文化のなぜを理解する上で、一番大切なことがあります。

それは、「オタク」とは何か?

オタクについて理解していなければ、秋葉原のオタク文化の歴史を知ったところで本当にアキバのオタク文化を理解したとは言えません。「オタク」と「ヲタク」の違い、「オタ芸」とは何か?「オタ芸」と「ヲタ芸」の違い…オタクの聖地秋葉原の基礎知識を理解することによってオタクマスターとしての役立つ知識を吸収することができます。

 

「ヲタク」と「オタク」の違いは?どっちが正しい?

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最近は、秋葉原以外でも普通に生活していれば「引きこもり」や「コミ障」なんていう言葉を聞くようになって、「オタク」に対する印象も変わってきたような気がします。

「きもい」「臭い」「暗い」なんていう「オタク3K」など、マスコミやテレビ、ネット上では「オタク」に対する先入観、印象操作、がまだ深く残っています。ただ最近では「可愛いらしい」、「微笑ましい」と評価されるオタクも多くなっています。

「オタク女子」や「ヲタクに恋は難しい」とか、「腐女子」とは違う女性のオタク像も浸透してきたので、今後はもっと「オタク」の世界に光が差すかもですね。

ところで、普段何気なく使っている「おたく」ですが、最近では「カタカナ」で表記することが多い気がします。ひらがなの「おたく」からカタカナの「オタク」に変化していった背景には深い歴史的意味があるようですが…そのことについてはいずれ。

「ヲタ芸」と「オタ芸」は違うのか?

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「ヲタク」と「オタク」の違いについては理解して頂いたことと思います。次に学んでいただきたいオタク文化が「オタ芸」です。

秋葉原のオタク文化が若者を中心に発展していった事実からも、どんどん「おたく」の内容も変化進化して、どこまでが「おたく」かっていうレベルまで変わってしまいました。

5年後、10年後の「おたく」に対するイメージや社会的位置づけも相当変わっていると思います。

秋葉原歩行者天国の歴史からアキバのなぜ?がわかる

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秋葉原のオタク文化を理解する上で、秋葉原の歴史を学ぶことは重要です。

「歴史は繰り返す」という格言があるように、秋葉原の歴史を理解することによって秋葉原が歩んできたオタク文化の背景を知ることができます。

そして、この秋葉原のオタ文化の歴史を語る上で大切なポイントが「歩行者天国」です。秋葉原のオタク文化、萌え文化は、この歩行者天国とともに発展してきたと言えるからです。

日本の道路を交通規制する警視庁のサイトから、歩行者天国は昭和45年の8月から初めて銀座で実施されたことがわかります。

昭和45年は、西暦1970年、「日本航空機よど号ハイジャック事件発生」「日本万国博覧会(大阪万博)開幕」「マクドナルド日本第1号店が銀座店にオープン」「アポロ13号打ち上げ」などの出来事がありました。

オタク的視点から面白いのが、「鼻血ブー」が流行語となりトミカのミニカーだ大ヒットした年でもあります。

 

秋葉原でオタク文化と関係が深い歩行者天国がはじまったのはいつ?

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秋葉原で歩行者天国が開始されたのは昭和48年(1973)です。「石油ショックによる物価急上昇」「トイレット・ペーパー,洗剤などの買いだめ騒動」「ノストラダムスの大予言が出版される」「関東大震災から50年目で“地震”ブーム」などの出来事があった年で、なんとなく世の中が不安な時期だったことがわかります。

「ドラえもん」や「キューティーハニー」「エースをねらえ!」がテレビアニメで登場した年で、名作として今でも人気です。

この当時の秋葉原は、戦後の闇市から発展した電子部品やパソコン部品の卸業者を中心にした「電気街」としての位置づけが強く「オタク」の街としての認知度はほとんどありませんでした。

秋葉原歩行者天国の歴史から学ぶアキバの萌え文化

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秋葉原の歩行者天国へのイメージを変えたのは、2008年6月8日の通り魔事件です。

秋葉原の歩行者天国は現在、中央通りの外神田5丁目交差点から万世橋交差点の範囲(約570m)で実施されています。しかし、2008年6月の秋葉原通り魔事件で歩行者天国が中止されるまでは、須田町交差点(万世橋を渡り、神田方面までの通り)から万世橋の範囲でも歩行者天国が実施されていました。
2011年1月23日に、通り魔事件後はじめて試験再開されると同時に縮小されて現在の実施エリアとなっています。
同年東日本大震災のため3月13日から再び計画停電などの治安上の問題で休止となりましたが、その後4月17日に再開しています。

 

しかし、この通り魔事件が起こる以前にも秋葉原の治安悪化やモラルの低下を警鐘する事件が発生していて、偶然突発的に通り魔事件が起こったとは思えないことが多いです。

秋葉原の輝かしい全盛期として懐かしむ人も多い2000年以降、インターネットの進化にともなって秋葉原がだんだんと大衆化することによって商業至上主義的なお店も増えて秋葉原のモラルが低下していきます。

電車男のブームでオタク市場原理主義が蔓延したアキバ文化黎明期

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秋葉原の全盛期と言われる「2000年」以降、秋葉原が大きく変化していったと言えます。1990年代後半から宅八郎がメディアで取り上げられるようになり「オタク」の認知度があがり、パソコンやネットの発展とともに情報の拡散力も飛躍的に伸びました。

 

2004年に発行され、2005年のテレビドラマ放映で大ヒットし、秋葉原のオタクに光を与えたとして美化されている「電車男」ですが、オタクブームによって秋葉原が失ったモラルも忘れてはいけません。

パソコンブームで盛り上がる秋葉原の電気街と、タイミング良くブームとなった「オタク」にマスコミがとびついて「オタク」に関連するものなら何でも売れて、秋葉原のオタクなら何でも許されるという雰囲気が街全体に蔓延していました。

この頃が、秋葉原=おたく=萌え=聖地というメディアによる方程式が確立された時期でもあります。

歩行者天国では、過激なコスプレをしたレイヤーのパンチラ撮影会が横行し、「萌え」を悪用して女子高生を売りにした「JKビジネス」が流行り出したのもこの頃です。

メイド狩り事件やメイド喫茶でのトラブルも頻繁に起こるようになり、2008年の通り魔事件発生までの秋葉原はオタクの無法状態だったと言えます。

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2011年に歩行者天国が再開されてからの1年後、2012年前後から秋葉原で第二のJKブームが起こっています。より過激になったJKリフレや見学店、JKお散歩など風俗まがいのサービスをするお店が一気に増えて、高架下や秋葉原ケンタの前には「立ちんぼ」と言われるチラシ配りの女の子が姿を見せるようになりました。

売春の温床として女子高生の補導、規制が厳しくなった2016年で一旦は影を潜めていますが、行き場のないストレスが秋葉原でたまっているような印象も受けます。2020年の東京オリンピックに向けて厳しくなっている法規制の裏で、より見えにくくなる秋葉原の闇の部分には今後も注意が必要です。

まとめ

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秋葉原のオタク文化の歴史を知ることによって、パソコンとネットがアキバにもたらした影響力をあらためで感じます。いろいろな偶然が重なって秋葉原の萌え文化は発展してきたわけですが、当時で言えばテレビの影響力も大きかったです。

2017年現在のテレビの影響力だったら、秋葉原がここまでオタクの聖地として発展することは無かったかも知れません。

 

オタクの愛でアキバから世界をハッピーに!

 

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本日も最後までご覧いただきましてありがとうございました(‘ω’)ノ

 

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「アキバの歩き方」の運営者。1995年にはじめて秋葉原を訪れて以来、秋葉原に住んだり、お店を出したこともありました。現在は新しい夢の為に奮闘しながら、中立的な立場で秋葉原を見守っています('ω')ノ

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